お久しぶりです

大変ご無沙汰しております。
昨年の秋以来、いろいろありましたが我が家のメンバーはみんな元気です。

私はというと、シンクタンクも大学も忙しいです。
シンクタンクでは昨年の秋からセクションが変わり、自分の専門分野がメインに。
ということで、昨今の世界情勢を考えても当然忙しいわけです。
大学は、今の所週1だし、講義を持っているわけではないですが、英語圏からの留学生の研究の相談を受けたり、大学独自の研究に携わったりしています。

昨今の世界情勢といえば、イスラミックステイトによる凄惨な殺戮の犠牲になった後藤健二さん。
大学の同窓生でした。
彼の行動については批判される面も確かにありますが、紛争地帯に入り、そこで起きていることを正確に伝えること、誰でも出来ることではないし、誰かがやらなくてはいけないことでもあります。
日本政府の対応にも問題はあったと思うし、検証も必要だと思います。

安全保障を専門とする者として、後藤さんの行動には心から敬意を表したいと思いますし、彼と同窓であることを誇りに思います。
心からご冥福をお祈りすると共に彼の遺志を継ぐことに繋がることが出来たらと思います。

話は全然違いますが、今年は記録的な暖冬です。
最近の地元はこんな感じ

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太陽の位置を見ると確かにこの時期なんだけど、1ヶ月以上先の風景に見えます。

今年の雛祭り

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雛祭りが終わったということは間もなく誕生日です。
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by kabusledge12 | 2015-03-06 22:22 | 研究

長らく放置状態でした。すみません。その間も様子を見に来て下さった方々、ありがとうございます。

先日、無事学位授与式が終了し、晴れて、”政治学博士”となりました。
振り返ってみると、この国に来て約半分の年月を大学院生として過ごしてきたわけです。
途中何度かくじけそうになり、数か月学校に行かなかったことがあったり、日本に行って母校の大学院でも恩師たちに絞られたり、大変だった修士時代。
それを何とか乗り切って、思いがけず、シンクタンクでリサーチャーをしながら、私にしてはコツコツと頑張った博士後期。
今は全てが楽しかった思い出になりました。

ダンナ君を始め多くの人に応援してもらった日々、改めて感謝したいと思います。

今年の4月から日本の母校は女性総長になりました。

法政大学田中優子新総長からのメッセージ

↑は新入生に対するメッセージですが、読んでいてしみじみと感慨深いものがありました。
私自身○○年前に法政大学に入学し、自分が最も学びたかった学部学科、高校時代から密かに尊敬していた教授のゼミに入り、充実した4年間を過ごしました。
今現在、130年以上の歴史を誇る母校、日本はもとより海外でも多くの同窓生と出会う機会があり、その度に校歌の一節である”佳き師、佳き友集い結べり”を実感しました。

そして、これから。
8月末の新学期から、大学の研究室での仕事が始まります。安全保障分野です。
そして、9月からはシンクタンクでも所属セクションが変わり、こちらも自分の専門分野になります。
ポスドクどころか何の就活もせずに得られたポジション、自分の置かれた環境に深く感謝し、本格的に研究者としての道を究めていきたいと思います。

で、とりあえず。
もう少ししたらシンクタンクの今いるセクションで”フェアウエルプレゼンテーション”を行い、その後は久しぶりに長い夏休みを頂きます。
プレゼンの中身はまだ準備中、何れここでまた報告します。
夏休みの予定は、決まったものあり、未確定のものあり、そちらもまたここで。

これからはまた以前(だいぶ前だけど)のように、こまめに記事をアップしていきたいと思います。
よろしくお願いします。

最後に、久しぶりに最近の写真を載せます。

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by kabusledge12 | 2014-06-15 16:22 | 研究

無事終了!

博士論文の口頭試問、終わりました。
要した時間は約3時間、そのうち約30分は自ら論文について述べ、残りが質疑応答。
ほぼ想定通りの時間とはいえ、やっぱり緊張しました。

修士の時は最後の最後までドキドキして、どうしよう?どうしよう?だったけど、今回は少し前にも書いた通り、審査願を提出した後から

どこからでもかかって来てください、受けて立ちます!

ドキドキよりワクワクする気持ちが大きかったです。
自信満々というか、やっぱり、この試問はいわゆる試験とは違うからかな。
自分が書いた論文をその道の専門家である教授たちがどう読んで、どう評価したり批判してくれるのか、楽しみでしたから。

結果、批判はほとんどなかったし、苦労して集めた参考資料のこと、及びそれを元に書いた章を評価してもらったことはうれしかったです。

最後は、修士時代からずっと指導教授をしてくださった論文主査と副査の2名の教授から握手を求められて終了しました。

論文の内容については正式に審査が終了したらまた書きます。
ここを読んでくださり、いつも励ましてくれたみなさま、どうもありがとうございました。

本題はここまでです。
最近の写真をどうぞ

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by kabusledge12 | 2014-01-29 21:45 | 研究

D.C.での出来事

前の記事に書いた通り、同窓会+ちょっと仕事でアメリカに行ってきました。
時系列的には同窓会の話が先だけど、とりあえず、ビックリだったワシントンでのことを先に。

日本でも大きなニュースになった軍施設での発砲事件。
ネービーのヤードで事件が起こったのは、ちょうど搭乗した飛行機JFK空港を離陸する頃だったようですね。
で、今の時代ですから、機内でもネットに繋いでいる人は大勢います(朝の便ですから尚更ですね)から、すぐに、CNNのメールサービスで情報は入るし、アッという間に驚きの声が上がりました。

私は飛行時間が短いこともあり、朝は苦手だし、新聞読んでただけでしたが、隣の席のおじさんが、教えてくれました。

じぇじぇじぇじぇじぇ、これは困った。と、思うものの、詳細がわかるわけじゃないし、考えてる間もなく、レーガン空港に到着。
電話が使えるようになってすぐに、一番最初に行く予定のセネターの事務所に連絡。
内心、”今日はダメだね。”と言われると思いましたが・・・
”ホテルはどこだっけ?あ、近いね、車回すから、時間はどれくらい?”と言われ、ビックリ。

ホテルは、D.C.では定宿にしている某大手チェーン。アーリーチェックインの予約を入れていたので何の問題もなく。
顔なじみのベルキャプテンのおじさんはちょっと驚いてました。

ということで、現場の近くを通って、議会へ。
修士論文の時から大変お世話になっているセネターに完成し製本した博士論文を渡すのが主な目的。
送らせて頂きます、と申し上げていたのが、今回、別件とはいえ出張となったので手渡すことが出来ました。
ちなみに、論文は風呂敷に包んで持参。マータイさんのおかげですっかり有名になった風呂敷、西洋でも人気ありますね。
今回は母がデザインしたオリジナルなものを使用したので、風呂敷ごと”謹呈”させて頂きました。

ランチをご一緒させて頂いた後、今回のメインの目的であるペンタゴンまで車で送って頂くというさらなる幸運。
日本では、大臣の公用車は別だけど、国会議員の車は公用車でもパッと見てわかるようにはなっていないらしいですが、アメリカはどうやら一部の議員の車は識別方法があるみたいですね。
車寄せにスーーーっと入って、ドアを開けてくれた人(制服組)は敬礼してくえrました。で、とっさにお辞儀をしてしまった日本人丸出しな私。

ペンタゴンに行った目的の詳細はここで書くことは出来ませんが、あらためて、今自分がいるところの凄さを実感。修士しか持ってなくて、よくもまあ置いてもらってきたもんだなと。来年からはセクションを変更とか言ってるけど、その前にこのまま居続けられるのか、今さらだけどちょっと不安になってきました。

そして、この日の夜はIBM時代の上司の女性(大学教授)とダンナ様(共和党系の某シンクタンクの上席研究員)と食事。D.C.で一番と言われているお寿司屋さんでご馳走になりました。
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by kabusledge12 | 2013-09-21 16:22 | 研究

負の遺産と向き合う

水曜日の夜遅くワルシャワから戻ってました。
で、アーランダからアーランダエクスプレス(成田エクスプレスと同じ用途の電車)に乗ってストックホルム中央駅に移動し、駅前の某ホテルへ。
翌日から2日間、シンクタンクに出勤し、出張報告と予定されていたプレゼンをこなし、金曜日の夕方、迎えに来てくれた相棒と一緒に、さらにストックホルムにとどまり、昨日の夜遅くにやっと帰宅。
今朝、ステファンの家に預かってもらっていたパンぺを迎えに行ったら、私はそっぽをむかれました。
うーん、やっぱり相棒を独占しようという気がありありとしている。思わぬライバル出現だ!

さて、そのワルシャワ出張。
今回は冷戦の終焉の頃のヨーロッパがテーマでした。
私はただ参加しただけなので、気楽な気持ちで出かけたのですが、ドイツからの参加者との雑談で、間もなく施政権復活後40年を迎える沖縄の話に。
「戦争で失ったものを話合いで取り戻した」
沖縄の本土復帰はそう表現され、史上稀に見ることだと言われているけれど、そのために結果として、戦後70年近く経った今も、沖縄の人たちは苦しみ続けることになっているのではないか、とその人に言われました。

何で、その人とこんな話になったかというと、私が提出したCVを見て、学部時代のゼミの指導教授の名前に目が行き、是非、沖縄の話がしたかったと言われました。
私の恩師は前にも何回かここで書きましたが、日本の占領研究の第一人者と言われている人です。
そのドイツ人研究者は第2次大戦後の戦勝国側による政策を研究していたことがあり、その時に恩師が書いた文献を随分と資料として活用したそうです。
英文の文献が多いのでとても助かったとも言ってました。

そして、私はこの人との話の中で、あらためてドイツ人の戦後感、負の遺産と正面から向き合う国民性について考えさせられました。
ドイツ国内に複数残る強制収容所の跡、ベルリン郊外、ヴァンゼーにあるヴァンぜー会議記念館。
ヴァンゼー会議記念館について欧州以外の国の人とはほとんど話をしたことがないとびっくりされたけど、あそこは私にはとても衝撃的な場所だったから。

びっくりといえば、私は沖縄に行ったことがないと言ったら、かなり大きなリアクションで驚かれた。
これね、よく言われるんですよ。何で、行かないんだと。
確かに、安全保障を専門とする者として、それも母国は日本なのに、ありえないことですね。
何とか近いうちに機会を作らないといけないなと思います。

今回は本当にスケジュールがタイトでワルシャワの街を散策する時間はあまりなかったけど、前回、プライベートで行かなかったところで行ったのは↓

旧王宮博物館
全景

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内部(撮影OKなのは珍しい)

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大統領府

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こちらは前も行ったけど、今回の目的の記念として

ワルシャワ蜂起記念碑

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無名戦士の墓

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本題はここまで。

今日は日本、そして北米は母の日でしたね。
スウェーデンは今月の最終日曜日です。
実家の母は両方の母の日にプレゼントともらえます。
さて、今年はどんなプレゼントがいったことやら。私は全然関知してません。(爆)
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by kabusledge12 | 2012-05-14 05:32 | 研究

日本滞在記 その1

月曜日の夜遅く日本から戻ってきました。
帰って来た日は王様のお誕生日で祝日、翌日はメーデーで祝日とス国もプチゴールデンウイーク。
といっても、私はバタバタしています。

さて、今回の一時帰国、過去最長に久しぶりだったので、毎日やることてんこ盛り。とうとう、ブログは一度もアップ出来ませんでした。
で、いつものように備忘録を残しておきます。
先ずは、公の話し、その中でも今回のメインだった母校での講義のこと。
法学部国際政治学科、数年前にそれまでの政治学科とは別に新しく出来た学科。
1年時の夏休みにイギリスのオックスフォード大学での研修が全員に義務付けられているようです。
今回私がお邪魔したのは、この学科で最難関と言われているゼミで、普段から講義は全て英語で行われているそうです。
うーーーーむ、”国際”と銘打っているとはいえ、凄いなあ、私が学部生だった時の所属ゼミも英語で専門を学ぶ取り組みはあったけど、全部英語ってことはなかったもんね、と感心するばかり。

事前に、担当教授、そしてゼミ長の学生と相談した結果、今回のタイトルは
「アメリカ合衆国外交政策にみるドイツ統一の過程」サブタイトルは「北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構を中心として」
冷戦の終焉から早20年以上、今の学部生はソ連も東ドイツも歴史上の国としてか知らない、冷戦の終結=先ずはソ連の崩壊、東ドイツを始めとした旧東欧の国々のことはわかってないことが多い、というのが実態と聞いて、この内容になったのだけれど・・・

結果としては、どの学生も実によく勉強しています。
まあ、事前告知してあったし、当日のレジュメも1週間前には知らせてあったので多少予備知識は仕入れてあったのでしょうけれどね。
質問タイムで驚いたのは、冷戦の終結とその逆説についてかなり鋭い突っ込みを受けたこと。
覇権と秩序、この非常に重要な二つのキーワードについて、実に深く考察している学生が複数いました。
少し前に、恩師と話した時に、”今時の学生はウォーターゲート事件やロッキード事件を知らないのが結構いる”なんてことを聞いていたので、NATOはともかく、ワルシャワ条約機構なんて物凄くレアな話しかと覚悟していたけど、そこはさすが優秀な子が集まるゼミでした。
冷戦の逆説なんて院の修士のレベルに近いのにね。
そして、後から考えたのは、学生たちは先ず日本語で理解して、その後英語に直しているんだなってこと。
だとしたら、ある意味私は負けてるかも。専門用語な日本語、ホント衰えてます、トホホ。

全体として自分の研究にとって大変有意義な時間であったことはもちろん、自他共に認める”大の”母校愛を持っている私には、感動の時でもありました。優秀な後輩を持って幸せです。
それと、学生のみなさんの礼儀正しさ、これもうれしかったです。
プレゼンを終えて、”では質問をどうぞ”とだけ言って、挙手を求めて、順番に話してもらったのですが、どの学生も、先ずは”本日はお忙しい中ご講義頂きありがとございます”から始まって、学年と氏名を名乗った後、本題に入るという流れ、偉いね。
中にはご丁寧に出身高校から教えてくれる子もいて、体育会時代の自己紹介を懐かしく思い出しました。

ちなみに、
見かけによらず実は結構チキンな私。大勢の人の前で話すのはあまり得意ではありません。
体育会時代のミーティングさえも苦手でした。
で、この日もかなり緊張していたのですが、そのドキドキ感をさらに増してくれた人の存在が。
それは、自分が学部生だった時のゼミの先輩で今は母校の若手教授として学生に中々人気のある方です。
戦後の日本の占領研究、特にマッカーサーの研究では第一人者といわれる教授が主宰したゼミで、ゼミ史上もっとも優秀だった人とも言われてます。
事前予告もなく突然教室に現れ、超ビビリました。
”うちのゼミは女子禁制””体育会なんてもっての他”との声が多数だった入ゼミ試験の時に、”法政に入ってこのゼミに入れなかったら学校に来る意味がなくなります”と言いきった私の”熱き思い”を強力に後押ししてくれたこのお方、今の私がある恩人の一人です。
備忘録、続く

本題はここまで。
留守の間の近所の写真

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日本は思っていたよりずーーーっと寒かったので帰って来てホッとした気がします。
そして、やっぱり我が家が一番だなと実感。
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by kabusledge12 | 2012-05-03 17:32 | 研究

うれしいこと

将軍様の国のミサイル発射、もとい一応”衛星打ち上げ”実施予告日が始まった。
取りあえず、初日は無かった模様。

4月も早いもので10日が過ぎました。
間もなく待望の一時帰国です。例によって例のごとく、パッキングは全然してません、っていうか、トランクを出すことさえしてない、っていうか、出来てない状況。
何か、諸々忙しいです。

今日の本題。
去年は一度も日本に行けなかったので、今年は複数回と思っていたけれど、いきなり、2回目も。
今月行って、一度帰って、また来月も行くことに。
そして、来月は、日本からLAを往復することに。
ま、言ってみればこれがあるから2ヶ月続けて日本に行くんです。
ここからアメリカ西海岸は果てしなく遠い(ちょっとオーバー)。

で、LAに何をしに行くかというと。
行き先はまた去年と同じレーガンライブラリー。
実は、このたび、めでたいことに、レーガン財団から研究助成金を頂くことになりました。
それで、その契約というか、事務手続きと、去年と同じようなシンポジウムが開かれれるので、それに参加します。

今回のことは、ウプサラ大学大学院の指導教授とマスター論文執筆時以来大変お世話になっているアメリカの某セネターのおかげです。
マスター論文のテーマにレーガンを選んだ時、実は、指導者サイドからは圧倒的に反対意見が多かったのです。日本の母校の恩師たちからも、”やめとけ”の声ばかり。
でも、私は近代のアメリカ政治を扱うとしたら、レーガンの時代以外考えられなかったので、自説を押し通しました。

実際、資料集めを始めとして、大変なことが多く、”ああ、やっぱり先人の言うことは聞くべきだったかなあ”とめげかけたこともありました。
なので、今回のことは非常な名誉であり、自分の研究に少し自信が持てるようになりました。
シンポジウムでのプレゼンはまだ練っている最中ですが、前回以上のものをと頑張っています。

以上、公の良いことでした。
そして、プライベートでも良いことがありました。

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↑パンぺ、正式に(ちょっと大げさ)我が家の養子として迎えることになりました、というか、迎えました。
相棒のホッケーのシーズンが終わり、元の飼い主と話しあった結果です。
およそ半年、パンぺにはつらく落ち着かない日々でしたが、これからは落ち着いてのびのびと過ごさせてあげたいと思います。

今日のおまけの写真
ポスク(イースター)の子供たち

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最近の地元の風景

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by kabusledge12 | 2012-04-12 16:22 | 研究

師匠の最終関門

新年最初の記事以来、ご無沙汰しておりました。
プライベートでのドイツ旅行の後、一度家に戻り、今度は、日本からの命令による調査と、博士論文の資料収集とフンボルト大学の教授にお会いするためにベルリンに行ってました。
今回は、去年のロンドンおなご会メンバーで、最も身近にいる先行研究者の一人であるロンドン在住のMちゃんが一緒。
国連職員として活躍しているMちゃんのおかげで調査は大きな成果が上がり、フンボルト大の教授とも有意義な話が出来ました。
と、そこまでは良かったのですが・・・
オフィシャルな旅といっても、やることやった後は少しは遊んでもね、ってことで、ベルリン在住の友人の案内でジャズのライブハウスに行ったのですが、その帰りにちょっとしたハプニングがあり、Mちゃん共々しっかり風邪を引いてしまいました。
旅の終盤だったのですが、帰ってから発熱し、すっかり引き籠りになってしまいました。
あいにく、相棒は遠征、自分でお粥を作ってすすり、それも食べたくない時はリンゴ食べたり、オレンジ絞って飲んだりしてしのいでました。
週明けの今日から、ボチボチと復帰、というか、シンクタンクはお尻に火が点いた状態。

おっと、前置きがとても長くなってしまいましたが、ここから本題。

以前から何度かここに登場し、一昨年の暮れから去年のお正月は我が家に滞在していた私の師匠。
学部時代は後輩だったのに、今は遥か先を行く人になった偉い人。
その師匠が博士論文の口頭試問という最終関門に挑戦します。

師匠の専門は憲法なので、学位は法学博士。
これって、実は司法試験の何倍も難しい、社会科学系では最も取り難い学位です。

パリでの留学生活はいろいろと大変なこともあったけど、立派な論文を書き上げた姿は、ただひたすら尊敬するのみ、正に輝く先行研究者。

口頭試問の時間は予定で2時間、延びるのが当たり前という過酷なものです。
私の修士論文の口頭試問もそうだったけど、冒頭は論文について自らの”口”で語ることを要求されるそうです。私は、その後の教授陣からの質問攻めが想定問とはかなり違っていて焦ったけど、苦労して書いた論文とはいえ、それを限られた時間で説明するというのはかなり大変。
レジュメがあるわけじゃなく、もちろんパワーポイントなんていう文明の利器が使えるはずもなく、手元に下書きを用意することも許されず。自分の口だけが頼りです。

今は、万全の状態で決戦の日に臨みつつある、師匠。
心からの声援を送りたいと思います。

やり残したことは何もないよ、今必要なのは自分を信じる強い気持ち。礼儀・節度・闘志
頑張れ!


この記事を書くにあたり、師匠には事前許可をもらいました。なので、本人もここを読みます。
いつもここを読んでくださっているみなさま、是非師匠に励ましのコメントをお願い致します。

ということで、今日の写真は↓
法政大学大学院棟から外濠越しに眺める法政大学ボアソナードタワー

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by kabusledge12 | 2012-01-16 21:48 | 研究

強かった頃のあの国

既に2ヶ月も経ってしまいましたが、備忘録として

レーガン財団でのプレゼンテーションの話

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今回はレーガン生誕100周年の一連のシンポジウムの一環ということで、特にテーマの指定はなく。
私が招いて頂いた理由が、修論のメインテーマがレーガンと彼の政権スタッフたちが、当時のカウンターパートとその政権スタッフとどんな外交を展開したか、そして、それが冷戦の終結に向けてどのような役割を果たしたか、でした。
で、今回は、レーガンと彼のスタッフ、特に国務長官だったジョージ・シュルツと、国防長官だったキャスパー・ワインバーガーについてまとめました。

ともすれば、レーガンという人の評価は、大統領としはその資質に欠けるところも多々あり、スタッフに恵まれただけと言われることがあります。
そして、その優れたスタッフというのが、↑に挙げた二人、というのが定説です。
しかし、この二人、というか、国の中枢を担う、国務省と国防総省が互いに反発しあっていたといわれているのもこの時代です。

私の修論の裏のテーマは↓
レーガンは立派な大統領だった、彼なくして冷戦の終結はありえなかった

それを様々な資料を元に実証した(出来た?)と一応自分では考えています。

昨今、アメリカではレーガンが再評価されています。
それは、取りも直さず、人々が強いアメリカへの回帰を望んでいるということだと思います。

米ソの2超大国が世界の覇権を巡って密かに戦っていた冷戦の時代、それが平和のうちに終焉を迎え、既に長い年月が経過しています。

今の世界におけるアメリカという国の影響力、年々衰退しているように感じている人は多いはず。
それは、政治の分野だけでなく、最近日本でも大きな問題となっている経済分野でも、そうです。

アメリカの影響力が大きければ良い、とだけは言いませんが、少なくとも、アメリカという国は”強い国”と自他共に認められることは大事だと思います。

力の衰退、この理由については、外交・内政、それぞれいくつかの要因があることは間違いないですが、自分の研究を通して、また、今のオバマ政権を見ていて感じたこと。

スタッフの資質の差

Wikipediaから引用したフォト

↓レーガンの最初と最後のスタッフ

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ビンラディン殺害現場の報告ビデオを見るオバマとそのスタッフ(CNNの当時の映像より)

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上の2枚の写真のメンツなら下の写真のメンツが遭遇したようなニュースに接しても、堂々としていたことでしょう。
アメリカという国の中枢にいる人たちはいつ何時どんなことが起きても毅然としていなくてはならないし、何ひょりも、自分たちが下した命令が遂行されたこと(ビンラディン殺害)を目の前にしてこの写真のように驚いたりすることはありえないことでなければなりません。
強いアメリカとはそういうことだと思います。

シンポジウムでは、生粋の日本人である私がどうして修論のテーマにレーガンを選んだかについて質問をされましたが、その答えともに評価して頂いたのが、シュルツとワインバーガーに関するかなり綿密な資料収集。
出席者の一人、かつてシュルツの下で仕事をしていた方からのコメントに、あらためて、
真実に基づかない研究は意味をなさない
政治学の基本の大切さを強く感じました。

レーガンメモリアルには所縁の品々が多数所蔵されています。
たった1時間でも良いから一度乗ってみたい”エアフォースワン”

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大統領執務室

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本題はここまで。

今週はまた相棒はホッケーの合宿、でもお留守番は一人じゃありません。
私を手下に従えている可愛い子がまだホームステイ中。
この子の今後については今のところ結論が出せない状況。
とりあえず、我が家、たまにステファンの家(うちより家も庭も数倍広いけど、犬を飼っているので長期間は難しい)にいます。

11月も間もなく終わりですが、地元は記録的な暖かさです。1978年以来、だそうです。
このままずーーーーっと暖かいと助かるんだけど、どうなることでしょう。
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by kabusledge12 | 2011-11-28 04:22 | 研究

春が来る前に

これから本格的な冬になるこの時期に変なタイトルですが、今日の話は季節のことではありません。
春は春でも
アラブの春

大学院に入ったばかりの頃、単位取得のための講義、といっても、学部時代のゼミより少人数のクラス。
その所為で教授の話を拝聴する、というよりは、ディベートの場になることが多かった。
同じ専攻の学生は少数なので、いつも大体同じメンツ。
留学生が結構いて、私は立場としては違うけど、外国人という意味ではそちらと一緒。
政治という分野なので、それぞれのバックボーンからくる主義主張がありいつも白熱する教室。
その仲間の中でちょっと、というか、かなり問題ありの人がいた。
中東某国出身、本人は元からそんな気はないから別に、って言ってたけど(まるっきりの本心では決してないことはみんなが知っていた)、アメリカには留学はおろか入国すら相当難しい国。
とまあ、これでおおよそどこの国か、想像がつく。

何が問題かといえば、それはもちろん彼の発言。
生まれ育ってきた国のことを考えても、常識の線を逸脱するものばかり。
教授は困惑するし、学生同士では、これじゃ講義を受ける意味がないという意見が出ることも多々あり。

結果的には、講義を受けて単位をもらわないことには、論文を書いても修士号は取得出来ないので、次第に彼もトーンダウンしていったんだけど、当然ながら親しい仲間は出来ず、資料収集では結構困っていた。

論文については、途中で何回か、”進捗状況報告会”が義務付けられ、プレゼンをした後、居並ぶ専攻の教授陣とかなり突っ込んだ質疑応答をするのだけど、その場でも彼はいつも紛糾して、徒に時間を取っていた。

それでも何とか所定の単位を取得し、論文を仕上げ、彼にとっては最大の難関であったらろう、口頭試問もクリアし、学位を取った。

私は、講義の際に何度か彼の口撃の標的にされ(生まれ育ちが気に入らないからという理不尽な理由を人づてに聞いてあきれた)、正直、何をされるかわからないような危険も感じたことがあったので、講義が減った2年目以降は出来る限り避けていたので、修士を終えた後彼がどうしたのかは知らなかった。
引き続きこの国に残るか、環境が整えばドイツに行きたいと言っていたという話しは噂で聞いていたけど、どちらもダメだったということを知ったのは随分経ってからだった。

そのあまり思い出したくもない彼について、今も博士後期で一緒に研究している友人が驚きのニュースを教えてくれた。

母国での反政府運動に参加し国軍からの攻撃の犠牲になり亡くなった

友人は、この話を彼と同じ国出身で今はボン大学に留学している友人から聞いたという。
博士課程に進みたいと思いながら、経済的事情でかなわず、国に帰って、ネット配信のメディアの仕事に就き、最近、中東で吹き荒れている”アラブの春”運動に身を投じたらしいという。

戦争の犠牲になる、テロの犠牲になる、それはもちろんあってはならないことだし、そういう人がいなくなるために何が出来るのかってことを考えるのが今の自分の研究だけど、まさか、自分の身近にいた人が、祖国でその国の軍隊によって命を奪われるような目に遭うとは・・・

人として生まれて、育って、祖国が良い国になるために力を尽くしていたのに、その命を奪ったのは祖国の権力。何て理不尽な話だろう。
人は生まれる国を選べるわけじゃないけれど、あまりにも悲しい。

アラブの春、一口にそういっても、国ごとに置かれている立場も違うし、今後の方向性も違う。
でも、何れにしても、アラブに春が来ることは世界の平和のためにもとても意義深いと思う。
春を呼ぶために流された多くの血をムダにしないためにも。

Oさん、衷心よりご冥福をお祈りします。
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by kabusledge12 | 2011-10-20 16:28 | 研究